自分だけの歴史を体験する「信長の野望」シリーズのイマーシブな歩み
突然だが、筆者はイマーシブという言葉がたいそう好きである。
どのくらい好きかと言うと、デカデカとimmersive
と書かれたダサTシャツを着て臆面もなく表参道をのし歩き、難事に際しては「イマーシブ!」と唱えながら正拳突きをして精神を整える。三日に一度は必ずイマーシブの夢を見るし、三度の飯には必ずイマーシブを振りかけて食べる。そのくらい好きなのである。
イマーシブとは「没入感」を意味する言葉で、物語や世界観に対して強力な牽引力を持つゲーム・エンタメを語るための言葉として近年しばしば用いられている。物語の中に入り込んでしまったような感覚、まさに自分がその世界の中に存在しているような感覚を、ゲームをプレイしながら覚えてしまう人は少なくないのではないだろうか?少なくとも、この記事を読んでみようと思うくらいの人はその傾向が強いはずだ。
今年の3月30日で初代の発売から40周年を迎えた「信長の野望」シリーズが謳う歴史シミュレーションとは、まさにそうしたイマーシブな感覚を楽しむためのゲームだと筆者は考えている。記念日に合わせて行われたコーエーテクモの公式配信でも多くのプレイヤーが喜びのコメントを投げかけており、根強い人気を感じさせた。このシリーズは「歴史ストラテジー」ではなく「歴史シミュレーション」なのだ。歴史にIFはない、とはよく言われる言葉だが、そうした『ありえたかもしれない歴史』を自分だけの体験としてシミュレートし楽しめることが、このシリーズがこれほど長く多くのプレイヤーに愛されている理由の一つではないだろうか。
とはいえ「信長の野望」には40年もの歴史と、本編だけで16作もの作品があり、各作品がもたらすゲーム体験は同じシリーズのゲームとは思えないほど差があるものも多い。そこで今回、ちょうど40周年記念でシリーズ各作品がsteamで40〜50%の大幅な割引を行っていたこともあり、筆者がこれまで未プレイだった旧いシリーズ作品も一通り触ってみることができたので、これまで「信長の野望」がどのようにこのイマーシブな体験創出を行ってきたのか、ということを考えてみたい。
ウォーシミュレーションゲームから「信長の野望」へ
初代「信長の野望」が発売されたのは今ははるけきバブルのただなか1983年のことであり、当時はまだWindowsすら存在していなかった。この最初期「信長の野望」は戦国大名のロールプレイに入り込んでしまうようなイマーシブな要素はそう多くはない……というか、ゲームのシステムそのものが非常にシンプルであり、例えるならアナログのウォーシミュレーションゲームの延長線上のようなものだと言えるかもしれない。
ウォーシミュレーションゲームとはその名の通り戦争を舞台にしたボードゲームの一種で、ヘクス(六角形のマス)で作られたマップ上に戦術部隊を展開し、二人のプレイヤーが戦術・戦略の優劣を争うものだ。日本では1970年〜80年代ごろに流行しており、ちょうど初代「信長の野望」の興隆に少し先行している。初代「信長の野望」の合戦マップがヘクス構成になっているのも、おそらくその影響を強く受けていたことによるだろう。
※公式サイトより引用
ただウォーシミュレーションなどと決定的に異なるのが自国の開発、「内政」という概念の存在だ。合戦の指揮だけでなく、合戦を行うための前段階として自国を豊かにする必要があり、それが単なる戦争ゲームを超えた戦国大名として歴史を作っていくというイマーシブな魅力を生み出した……のかもしれない。というのも、さすがにこの初代信長の野望だと、現代作品に慣れた筆者のような身からするとちょっとシンプルすぎていまいち没入できなかったのだ。コマンド数自体も少なく(これは一概に悪いことではないのだが)、なにより初代の「信長の野望」にはまだ「武将」というものも存在しない。
初期のウォーシミュレーションライクな系譜を持つシリーズのなかで現在でも遊びやすいのは、4作目の「武将風雲録」と6作目の「天翔記」だろう。これらは傑作として名高く、シリーズ30周年の時に行われたユーザーアンケートでは年輩層のプレイヤーから大きな支持を集め、「武将風雲録」は得票率1位、「天翔記」は3位をそれぞれ獲得しているほどだ。たいへんざっくりとした解説で恐縮だが、大きな違いは「武将風雲録」はマップが国単位であるのに対して「天翔記」は城単位であることで、総じて前者のほうがシンプルで時間もかかりづらい作りだ。
シリーズの歴戦プレイヤーにとって先刻ご承知であることは百も承知だが、一応改めて指摘しておくと、「信長の野望」は旧作が新作に比べて必ずしも劣っているわけではない。むしろ人によっては旧作のほうが面白い!と感じることも多いだろう。40年間も同じテーマでゲームを作り続けているがゆえに、「信長の野望」はシリーズごとにゲームのシステム大きく変えており、プレイヤーを飽きさせないようにしているのだ。そのため、先程挙げたの作品にも現行作品にはないシステムもあり、それが独自の味を出していたりもする。
※公式サイトより引用
例えば、プレイヤーの間でよく話題に上がるのが「天翔記」の武将の能力成長システムだ。「天翔記」ではどんな著名な武将であっても登場時点での能力は低く、実践経験を積んだり年輩の武将から教育を受けることでステータスが大きく成長していく、というシステムになっている。元服したばかりの若武者が、何十年と戦場で戦い続けてきたベテラン武将よりも圧倒的に有能……ということにはならないのだ。
また、現在ではおなじみの要素である、家老や足軽組頭といった勲功によって得られる武将の「身分」が現れたのもこの作品からで、これによって譜代の家臣と新参者では率いられる兵士数などに差が生まれることになる。こうした武将が積んでいく経験・実績というものをゲームシステムに落とし込んだことで、どの勢力でプレイしても最終的に前線で活躍するのは有名なスター選手ばかり、という事態が緩和されることになった。大名家の創業を支えた功臣というものが、ゲームのシステム上でもしっかりと力を持てるようになったのだ。
こうしたシステムは、ストラテジーゲームとして、あるいはお気に入りの武将をすぐに活躍させたいと思うプレイヤーにとっては、ある意味で足かせの要素でしかない。一方で、この不自由さによって生まれるリアリティは、まさにゲーム対するイマーシブさを深めるものだ。プレイヤー自身を戦国大名として、歴史を作っていく過程そのものを楽しませるための仕組みという意味で、これはストラテジーには不要でも、シミュレーションとしては非常に優れた要素であったと言えるだろう。
※公式サイトより引用
一方で、イマーシブさをもたらしながらストラテジーのシステムに合致した追加点もある。こちらも現在ではおなじみの「軍団」のシステムなどがそれで、史実で織田信長が各方面に攻略担当軍の司令官を置いていたことに由来している。ゲーム的に言えばこれは一種の委任であり、だれがちな後半の展開速度を早めるという意味合いを持つ一方、お気に入りの譜代家臣や有能な出世頭を抜擢してその活躍を見守ることができるという、イマーシブな喜びももたらしてくれる。
「信長の野望」の歴史というのは、こうしたストラテジーとシミュレーション(あるいはロールプレイの)要素間におけるバランスのとり方の変遷の歴史でもある。単純な戦争ゲームではなく、戦争に勝つまでの一連の流れを含めた行動すべてを、自分だけの歴史として楽しむ「歴史シミュレーション」というゲームの色が、この先にもますます強くなってくる。
ゲーム性を変えた箱庭内政システム
「信長の野望」は販売順が奇数番のものでシステムを一新し、偶数番のもので発展継承させたものを作る、ということがよく言われているのだが、前述した「天翔記」に次ぐ7作目の「将星録」もそれまでのシステムを大きく変えることになった。ここに至って、これまでのシリーズでは単に数値の上下でしかなかった内政というシステムが大きく変更され、領国の発展が直感的なビジュアルで分かるようになったのだ。これはゲームに新たなイマーシブさをもたらした。
※公式サイトより引用
「将星録」の大きな特徴は日本全国を一枚のマップで表し、内政も軍勢の移動も全てそのマップ上で行う、というものだ。建設ユニットが城の周りに水田や村落といった建造物を建設し、完成すると城の収入が増える。軍勢もそのマップ上を動くため、建造物の上で戦闘が発生すると建造物のレベルが下がる。治水されていない川は雨期になると氾濫することがあるが、治水すればより遠くまで水田を作れるようになる……など、いわゆるシム系の街づくりが初めて導入されたのがこの作品だった。
この「全国一枚マップ」と「箱庭内政」システムを発展継承させたのが次の8作目「烈風伝」で、こちらも現在でも傑作と名高い。本作では内政システムをより簡便にしたほか、マップ上の好きな位置に支城を作って金山や馬産地などの天然の資源を取り込んだり、山岳地帯に新たな道を引いて進軍や輸送の便を整えたりといった、マップ全体を総合的に生かした戦略を取れるようにもなった。合戦・内政をひとまとめに行うことのできる「全国一枚マップ」が、国造り全体をイマーシブなシミュレーション要素に取り込んだと言っていいだろう。
※公式サイトより引用
このシステムは直感的でわかりやすく、それこそシム系が好きな人間なら戦争そっちのけで内政開発が楽しめるものだった。ただし、「烈風伝」における内政はゲーム的にはやらなくてはならない、というものではなかった。確かにこうした要素はより深いイマーシブな体験をもたらしてくれる非常に面白い要素ではあったのだが、ゲーム的な勝利だけを目指すのであれば合戦だけしていてもOKといった塩梅でもあり、ゲームバランス上の重要度はそれほど高くなかったのだ。
※公式サイトより引用
またその合戦も「将星録」では簡易化されすぎてバランスの悪かった合戦システムが一新されたことで、非常にプレイしやすく……有り体に言えば難易度は大きく下がっている。また武将の能力が戦闘力を非常に大きく左右していたことも特徴的で、例えば信長や謙信など一部の武将は、鉄砲攻撃回数が増えたり騎馬突撃の威力が2倍近くになるといったマスクデータも存在していた。そのためこうしたスター武将は非常に活躍しやすく、操作する面白さはかなり高かった。
総じて「烈風伝」全体の特徴として、ストラテジーとしては低難易度だが、シミュレーション(ロールプレイ)としてはイマーシブなプレイがしやすいとは言えるだろうと思う。先程まで挙げた機能の他にも、元服前の武将を養子にして一門に迎えるとか、オリジナル勢力を作れる機能があるため、シナリオに取り上げられていないような弱小勢力を立ち上げてプレイするとか、自分なりの歴史をシミュレートしていく、という方向性のイマーシブさはかなり豊かなのだ。難易度が低めであることから、ノブヤボ新規プレイヤーにもおすすめしやすい作品とも言えるだろう。
リアリティを追求したRTSと諸勢力システム
「烈風伝」はシミュレーションとしてのイマーシブさが豊かなゲームだったが、しかし次作以降ではじわじわとストラテジー的なリアリティの側からもイマーシブさを高めるような仕組みが導入されていく。9作目の「嵐世紀」では全国一枚マップは一旦廃止され、内政も「天翔記」以前の数値の上下を眺めるだけの形式に戻った。その代わりに導入されたのが「リアルタイムストラテジー(RTS)」形式の合戦システムだ。「嵐世紀」の合戦は国ごとの戦争マップで、リアルタイムに部隊を動かして戦う形式になり、ダイナミックに変化する戦場に臨機応変に対応する必要が出てきた。これはより軍勢の指揮によりイマーシブなプレイ体験が生まれてくる。
※公式サイトより引用
とは言え、初のノブヤボ式RTSということもあって、操作性にやや難があったり、鉄砲隊が異様に強かったりといった問題点があったことや、このRTSのために前作までの一枚マップによる箱庭内政ができなくなったことなどから、本作の評判はあまり芳しくない(筆者は「嵐世紀」もたいへん好きなので悲しい)。ただしRTSそのものは以降のシリーズでも形を変えつつ引き継がれることになる。そしてこのRTS合戦と、前作までの箱庭内政が見事な融合を果たしたのが11作目の「天下創世」だ。
こちらは全国一枚マップでこそないものの、個別の城ごとに城下町を作成する「箱庭内政」が可能で、発展の様子をビジュアルでしっかり確認できる。グラフィックがフル3D化されたこともあって、城下町を発展させていくだけでも楽しい…だけではなく、攻城戦が発生すると今度は街ぐるみが広大な戦場マップとなる。いままで自分が作った街が戦場となってしまうのだ。
※公式サイトより引用
建物を破壊すると金銭や家宝などが入手できるため、城にこもっていると城下町に建てられた建造物はどんどん打ちこわされてしまう。実際の歴史でも敵をおびき出すために城下を焼くなどもしょっちゅう行われていたというから非常にリアルだが、やられると非常に辛い。逆に敵の城下に侵入したら、戦うだけでなく略奪で荒稼ぎをすることもできた。同盟国の戦争に援軍として参戦し、略奪だけ働いて帰るといったプレイングも可能であり、単に戦って相手を倒すだけではないという新たなプレイ体験も生まれることになった。
さて、再び「嵐世紀」の話に戻るのだが、今ではおなじみとなっている「諸勢力」が初登場したのもこの作品だ。戦場には大名家だけではなく、国人衆(野武士)や寺社勢力(一向宗他)などの土着勢力が存在し、友好関係であれば合戦時に味方になってくれる……というより友好的になっておかないと敵対されて尋常でなく手を焼くことになるため、戦争前にこうした外部勢力に十分根回しをしておくことが非常に重要だった。
これは完全に余談だが、この作品における一向宗徒は本気で冗談でないくらい強く、史実でも信長・家康を始めとした戦国大名たちがほとほと手を焼いたという実力を存分に発揮してくれる。特に本拠地の石山本願寺などでは寺社勢力が必ず敵に回る上、鉄砲部隊の多さもあって苦戦は免れない。後にも先にもこれほど本願寺勢力が強かった作品は嵐世紀くらいである。
とまあ、こんな具合で嵐世記では合戦が始まる前の、関係各所への事前根回しというのが非常に重要だった。戦場に出る勢力以外でも、諜報活動をするためには忍者衆に頼んで忍びを派遣してもらわなくてはいけないし、家宝を買うためには商人と仲良くなっておく必要がある、などなど。こうした戦国時代におけるさまざまな外交要素を継承発展させたのが、次作10作目の「蒼天録」だと言えるだろう。
権謀術数に特化した異色の「蒼天録」
「蒼天録」は「信長の野望」シリーズにおける怪作と言っていい。
最大の特徴は、シリーズ中でもほかに1作しかない、「大名以外の城主プレイ」が可能である点だ。だがはっきり言ってこの作品、内政も合戦もかなり大味である。内政は「嵐世紀」に引き続き数値の上下だし、合戦のシステムもかなり簡略化されておしくらまんじゅうのようにになっている。しかし、そうした大味な要素を差し引いても本作は謀略や外交といった要素がシリーズ中でも群を抜いて多様であり、まさに下剋上の時代をイマーシブに体験できる作品となっている。本記事でもわざわざ別項を作ってちょっと語りたくなってしまうほど特徴的な作品なのだ。
「蒼天録」では「嵐世紀」で登場した諸勢力などはもちろん、他大名・他城主、加えて自勢力の大名・城主も謀略、外交の重要な対象だ。強力な城を落とすために援軍をもらう、敵勢力の軍勢は偽報で追い返すといった直接的なものから、敵勢力への内応・寝返りや、下剋上のために朝廷から大義名分をもらうことまで、とにかく様々なことができる。敵を弱体化させることはもちろん、ライバルになりそうな味方の足も引っ張れるのだからさあ楽しい。
※公式サイトより引用
城主プレイはロールプレイの幅が広く、柱石としてお家を支える忠臣プレイから、謀反・内応なんのそのといった蝙蝠プレイ、「発言力」を高めて裏で大名を操る黒幕プレイまでできる。また他シリーズでは開始早々から滅亡の危機となるような弱小勢力大名であっても、他大名に家臣として仕えながら密かに捲土重来を図るといったプレイも可能であり、ゲームオーバーにはほとんどならないというのも大きな特徴。天下を取れなくても生き残れば勝ちという意味で、非常にリアルな戦国時代っぽい遊び方ができるのだ。
少し先の時系列での話になってはしまうが、城主プレイについて語るなら14作目「創造」のPKのPKとでも言うべき「戦国立志伝」の話も避けては通れないだろう。時は2016年、全国の歴史ファンたちがNHKの大河ドラマ『真田丸』の興奮の坩堝にいた頃のこと、流行り物にはとりあえず乗っておこうとするコーエーテクモ氏が、パッケージに壮年の真田幸村を起用してバチバチに時期を被せて出したのがこの作品だ。まあ、『真田丸』では映像資料の提供などをしていたらしいので、まったく故なきことではないのだが。
さて「創造」についてはまた後ほど述べるが、「戦国立志伝」はこの「創造」から一部の要素を引き継ぎつつ、シリーズ初となる全武将プレイを可能にした作品だ。とは言え、権謀術数がテーマだった「蒼天録」とはだいぶ毛色が異なり、ざっくりまとめると、こちらは一領主としての戦国武将のイマーシブな体験を目指したもの、と言えそうだ。それを端的に示しているシステムが「知行地」と「武家」のシステムだろう。
大名家に仕える家臣たちも、本来は在所に自分の土地をもつ一領主であり、自家の家臣を抱えている。そうした仕組みを再現したのが「武家」のシステムであり、大きな大名家はその下に独自の家臣と領地をもつ複数の「武家」を抱えることになる。例えば1582年のシナリオでは、羽柴秀吉は織田信長に仕えているが、その秀吉にも加藤清正や石田三成と言った家臣がいる。これまでのゲームシステムでは清正や三成と言った陪臣もまとめて織田家の家臣として扱われていたのを、「戦国立志伝」では「織田家に仕える羽柴家の家臣」として表現することが可能になった。この点は「太閤立志伝Ⅴ」などにおける陪臣のありかたとも近いだろう。
※公式サイトより引用
もうひとつの「知行地」は城主ではない一般家臣の場合に大名から与えられる領地のことで、プレイヤーはその土地を好きなように発展させることができる。そして、いざ戦となればその領地の兵士を率いて合戦に駆けつけることになるのだ。またこちらも「将星録」以来の箱庭内政のシステムを発展させたものであり、領主の館の周りに広がっていく町の様子を確認することができる。
こうしたシステムは基本的に大名でしかプレイできなかった「信長の野望」シリーズの中ではかなり異例であり、同じく家臣プレイが可能だった「蒼天録」とも様相を異にしている。個人的な感想レベルの話ではあるのだが、部分的にではあるにせよパラドックス社のCrusaderKingsのような要素を取り入れようとしたのではないかと思っている。この時代、大名領主とは小名領主の集合体という面は依然として強かったのであり、「戦国立志伝」は個々の武将たちにとっての戦国時代へとプレイヤーを没入させようとしてくれるものだったのだと言えるだろう。
わかりやすく、遊びやすく簡略化された「革新」
さて、話は「信長の野望」本編の時間軸に戻る。ここまで「箱庭内政」「全国一枚マップ」「RTS」「諸勢力」といった、ゲームをよりイマーシブなものにしてくれたさまざまな要素を紹介してきたのだが、これらの要素をほどほどの塩梅で配合しつつ新たに「技術革新」という要素を足した上で、様々な要素を大幅に簡略化してできたのが第12作の「革新」だ。時系列的には「天下創世」の次の作品に当たる。30周年時に行われた人気投票で2位を獲得した作品で、こちらは特に若い世代からの支持が強かった。
※公式サイトより引用
「革新」は全ての内政・合戦が全国一枚マップ上でリアルタイム進行する、ということが非常に特徴的なゲームだ。「将星録」などでは軍勢の進軍状況こそマップ上に展開されるものの、合戦が始まると別マップに移行していたのに対し、こちらは合戦自体も含めて同一のマップ上で展開する。そのため、合戦自体は大幅に簡略化されており、戦術的な要素はかなり縮小した。一方で武将個人の能力に依存した「戦法」が非常に強力で、一撃で数万の軍勢を溶かすことすらあったため、使い方によっては寡兵で大軍を打ち破る、といったドラマティックな展開を起こすことも十分に可能だった。
※公式サイトより引用
また、技術革新を起こして自勢力の軍勢を強化したり、内政によって城下町を要塞化して決戦都市を作ったり、合戦にしても他勢力同士の戦闘に介入して横槍を入れるようなことができたりと、各要素自体はわかりやすくシンプルなのだが、全てがシームレスな一枚マップになったことで、工夫できる幅自体は非常に広くなっている。この傾向はPKで「諸勢力」や「城主の任命」といった要素が追加されたことで更に向上している。
一方で武将に与える俸禄が自国経済に重くのしかかったり、軍勢の兵糧消費が非常に激しく、大きな戦いはせいぜい年に1度くらいしか起こせなかったりと、内政周りはなかなかシビアであることも大きな特徴と言えるだろう。合戦に勝つためには内政・外交の重要度は高くなっており、ミクロな戦術のゲームからマクロな戦略のゲームへと大きく舵を切ったのがこの「革新」だと言えるかもしれない。そしてこの系譜は、次作13作目の「天道」以降にも引き継がれている。
※公式サイトより引用
総じて「革新」は、戦略に対する創意工夫の幅の広さに加え、戦術レベルにおける武将個人の活躍という二つの方向性から、ゲームに対する没入感が非常に高い、イマーシブな体験を生み出すことに成功しており、ストラテジーとシミュレーションとを絶妙なバランスで混合した作品だと言えるだろう。一方でここで生まれたイマーシブさは、多くの簡易化によって成り立っているものであり、いわばフィクショナルなリアリティーとでも言うべきものだったことは指摘しておくべきだろう。言い方を変えると「帳尻だけが合っている状態」であり、幅広い戦略が取れる、個々の武将が能力に応じて活躍できる、というイマーシブな体験にとって必要な出力はしっかり出てはいるが、その過程はかなり非現実的なゲーム的仕様(戦法一発で兵が数万人消えるなど)に強く依存している。
結果として、「革新」とこれに続く「天道」は、とっつきやすいシステムを備えたストラテジーゲームとして非常に完成度のゲームとなった一方で、簡略化の波を受けて家老や足軽組頭といった武将の役職などがなくなるなど、リアリティに依存したイマーシブさは大きく弱まってしまったという面もある。あらゆる要素がわかりやすくなったことで万人受けしやすい優しい作品になった一方で、現実感が薄れ「ゲームっぽいゲーム」になったのがこの「革新」の系譜だと言えるかもしれない。
リアル路線でのストラテジーゲーム「創造」
14作目となる「創造」およびそのパワーアップキットは、戦術から戦略へというシリーズの流れをさらに大きくしたものであり、こちらもストラテジーとしていかに面白いものを作るか、という観点で作られているように思われる。一方で、要素の簡略化によってそれを達成した「革新」とは逆に、地味だがリアリティのあるシステム・演出が多く、ゲームとしての難易度もかなり骨太なものとなっている。
※公式サイトより引用
「創造」も「革新」などと同じように一枚マップ上で全ての戦闘が進行し、戦術と呼べるような動きは基本的にないのも同様(ただし後述する「会戦」は別)。しかし武将の戦法などで派手な戦闘を繰り広げていた前作までとは異なり、「創造」のマップ上では見られるのは非常に地味な押し合いのみだ。「創造」の戦争は基本的には大軍でもって津波のように敵軍を押し流していくというやり方になる。そのため自国を豊かにする内政はもちろん、敵を減らし、味方を増やすための外交の重要性も高い。
また「天道」と同じように「道」も重要だ。軍勢は道に沿ってしか進めないため、当然ながら一本の道を一度に通れる軍勢の数は限られており、また整備されていない道を大軍で通ろうとするとかなり時間がかかる。そのため例えば甲信地方など山がちな土地は侵攻しづらかったり、大軍を動員する場合には複数のルートに分散しながら進む必要が出てくる。
要するに、絵面はかなり地味なのに考えることはなかなか多い、というかなりリアル指向なストラテジーに寄っており、それはこのゲームにおける最大の特徴の一つでもある「人口」にも現れている。これは内政によって開発できる区域の数に直結するため、端的に言えば「人口」が多ければ多いほど領国が豊かになり、兵数も増える。このシステムから、最初から多くの人口を抱えている畿内地方や濃尾平野、また関東平野などの生産力の高い地域を抱える勢力が非常に強力になる一方、甲信の武田家や越後の上杉家など、これまでのシリーズでは武将の質だけで強大化しやすかった勢力が、地盤の弱さから伸び悩みやすくなった。土地そのものの豊かさを設定することで、これまでのシリーズになかったリアリティを生み出したのだ。
※公式サイトより引用
またパワーアップキット版では「会戦」のシステムが大幅に強化されており、一枚マップとは別の専用マップで大規模な合戦を指揮できるようになっている。これによって、基本的には戦略重視のゲームでありながら、弱小勢力でも戦術的な勝利を積み重ねることで強大な勢力への逆転を狙う、といったこともできるようになった。この合戦もリアル志向であることは変わらず、システムはクリエイティブ・アセンブリー社のTotalWarシリーズの戦闘をやや簡略化したようなもので、一発の戦法で何万もの兵が溶けていた「革新」や「天道」の合戦に比べると、地味ながら非常に肉厚重厚の出来栄えだ。
繰り返しになるのだが、「創造」は直前までのシリーズと打って変わり、総じて「リアル志向」のゲームだ。その分人によっては複雑な割に地味と感じるかもしれないが、ハマる人にはどハマりする。優れたリアリティによって貫徹されている「創造」は間違いなく近年の信長の野望シリーズの中で輝く傑作ではあるが、欠点がないわけではない。これまで何度も繰り返し述べてきた通り、ちょっと地味なのだ。
例えば、このゲームでは武将の質というものがそこまで重要ではない。前述の通り「創造」の合戦は怒涛のごとく押し寄せ、寄せては引く波のごとし…といった具合のもので、優秀な武将を集めるより、とにかく兵士の頭数を集めて押し流してしまうのが大正義なのである。こうした重厚なリアリティはゲームの戦略に深いイマーシブさをもたらした一方で、これまでの「信長の野望」が持っていたものを失う結果にもなっている。「創造」はリアルな戦国体験をもたらしたかわりに、ドラマティックな戦国体験を失ってしまったとも言えるかもしれないのだ。
そして新生へ……
さて、ここまで歴代「信長の野望」がどのようにイマーシブな戦国時代を作ろうとしてきたのかを、筆者の独断と偏見(強火)でもって解説してきた。どのような手法を持って没入感を高めるのかはタイトルごとに異なっていたが、ここに至るまでには数多の発展の歴史があったことが、少しでも伝わっていると幸いだ。ここまで前提となる話を積み重ねたことで、ようやく最新作である「新生」の話を始められる。
※公式サイトより引用
第15作の「大志」を経て発表された最新作「新生」は基本的に「創造」と同じ、ハイ・リアリティーの系譜を引き継いだタイトルだ。しかしながら「創造」がその重厚なリアリティーで押しつぶしてしまったフィクショナルなリアリティーとでも言うべき、ドラマティックな戦国体験をもたらすために、さまざまな工夫も施されている。
※公式サイトより引用
例えば合戦について、「新生」の軍勢も戦略画面上では凸マークの軍勢がマップ上で押し合いをするのが基本形式だが、「会戦」は大きく変更されている。「新生」の会戦はマップ上で自由に動き回ることができなくなり、決まったルートの道しか通れなくなった代わりに「士気」や「要所」といった概念が登場したことで、寡兵でもかなり戦いやすくなった。また今作では武将の戦法発動時のカットインがさらに派手になっており、特に有名武将は立ち絵がちょうカッコ良く動くため武将の活躍が目立ちやすい。なにより今作は「威風」システムによって会戦の重要度そのものが上がっており、武将たちの活躍が勢力の拡大に直結しやすいのだ。
※公式サイトより引用
加えて非常に重要な点として、今作の部隊は命令しなくても自分の意志で行動を決定できるようになっている。もちろん自身でその命令を上書きすることもできるが、AI武将の判断はそれなりに的確であり、黙ってやらせておいても構わない。なぜこの点が重要であるかと言うと、本作は万事がこういう調子だからだ。というのも「新生」は、公式PRの言葉を借りれば「自ら考えて行動する生きた武将とともに『君臣一体の天下取り』を目指す」ゲームなのだ。これは私の理解では、「創造」以来のシステムでは存在感が希薄となった武将たちに、自ら存在感を主張する能力を与える試みだ。
※公式サイトより引用
本作の武将はとにかくよく喋り、よく動く。それを代表するシステムの一つが配下武将に土地を与える「知行」システムだ。「知行」自体は「新生」で初めて出たシステムではなく、「覇王伝」や「嵐世紀」などでも配下に土地を与えることができたのだが、「新生」のシステムがそれらと大きく異なっているのが、実際に特定の土地を配下武将に任せられることだ。「新生」のマップにおける最小単位は「郡」であり、各城に紐付いた「郡」を配下の武将に与えられるようになっている。知行を与えられた武将はその土地を自身で 勝手に開発してくれるため、まさに家臣と大名が一体となって国を発展させていくことになるのだ。
これは郡ではなく城の場合も同じで、城主に任命した武将はその城の開発を勝手に行ってくれる。加えて配下武将が開発を行う際には、大名自身が土地を開発する場合には必要な「労力」や「金銭」が不要なため、知行を与えることがゲーム的にも「正解」の動きとなっている。「知行」システムはプレイヤー大名と家臣を結ぶイマーシブな要素である一方、ゲーム的に必要とされる動きでもあるのだ。「新生」の大きな特徴は、こうしたイマーシブな要素を、ゲームプレイの必然の中に紐付けようとしているところにあるのではないか、と筆者は考えている。
※公式サイトより引用
家臣たちはしばしば行う「具申」もそうしたプレイに紐付けられたイマーシブな要素の一つだ。プレイヤー大名がやっておいたほうがいいことを、家臣たちが次々に提案してくるのだ。「具申」にはどうでもいい内容のものもままあるが、「ああ、それやんなきゃ!」と思うものも多い。また「大志」でも近い要素があったが、こうした提案の中には通常のコマンドは存在せず、家臣から「具申」を受けなければ実行できない強力なものもあるのだ。はっきり言ってこれはストラテジーゲームとして考えると非常に不自由なシステムではあるが、一方でこうした不自由さはドラマを生みだす装置でもある。あらゆることが常に思い通りにはならないため、全てのプレイが毎回異なった展開を生む要因にもなっているのだ。
設定で助言をONにしておけば、プレイヤー大名が次に何をすべきか、なんてことについても定期的にそれなりに的確な助言をくれるので、家臣と相談しながら戦略を決めていきたい人や、ストラテジー初心者のプレイヤーにも優しいだろう。基本的には画面端にアイコンが出るだけで、クリックしなければ画面を止められることもないので、大量の具申が飛んできてもそれほどストレスはない。
まとめると、「新生」は戦国時代をよりイマーシブに体験させるための工夫として、新たに「自己主張する武将たち」というシステムを導入したゲームだ。とは言え基本的には「創造」の系譜を引き継ぐリアル志向のストラテジーであるため、過去作が好きだったという方は安心してプレイしていただきたい。そして何より、このゲームはまだあと1回変身を残している……もとい、パワーアップキットが控えているのだ。ものすごく失礼な話ではあるが、PK前にも関わらず筆者は十分遊べており、その時点で「新生」はすでにかなり優秀なタイトルだと言わざるを得ない。
そのPKについても先日行われた配信の中でプロデューサーからいくつか発表があり、その中には戦国イマーシブ原理主義者としては気になる項目もあった。一つには「戦国立志伝」の「家臣団」などを思わせる「評定衆」の設定だ。ただしこちらは設定した武将の紐付いた能力が勢力全体に与えられるようになる、というものらしいので、毛色は多少違うようだ。この倍くらいの役職をお気に入りの家臣たちにバラ撒けるようになっていると嬉しいのだが……
続いてもう一つ、反響としてはこちらもより大きそうだが、合戦に「攻城戦」が追加されるということが発表されている。しかも今回は「全206城」すべての城が、なんと「城下町込み」で対応されるとのこと。この時点でちょっと冗談みたいな話だが、たしかに実現してくれれば非常に嬉しい。難しいかもしれないが、「天下創世」以来の打ちこわしなどがあるとさらに嬉しいのだが、これは期待できるだろうか? またこの他にも武将と1対1での交渉ができる直談(じきだん)他、多くのコンテンツ追加があるということで、こちらも非常に楽しみなところだ。
さて、かなり長くなってしまったが、こんな雑文をここまで読んでくださった方がいたとしたら感謝に堪えない。もしこれを読んで興味を持った作品が1本でもあれば嬉しい限りだ。残念ながら「新生」のみ対象期間が短くすでに終了してしまっているのだが、その他の「信長の野望」シリーズのsteamセールは4月12日まで行われているので、この機会にぜひ一度触れてみるといかがだろうか?
リアルに歩いて天下統一!「信長の野望 出陣」
40周年の記念配信を見ていたときに、「ある意味究極のイマーシブじゃん……」と思ってしまったので、ちょっとこれも取り上げてみよう。情報を知らない人もいるかも知れないので一応説明すると、「出陣」は「信長の野望」シリーズ最新作となる位置情報ゲーム……要するにノブGOである。ゲームをイマーシブにするんじゃなくて、現実をゲームにしてしまえばいいってわけさ。あと本当にしょうもないので恐縮だが、筆者はyoutubeコメントで流れていた「シブサワGO」でめちゃくちゃ笑ってしまった。
このゲーム、要は日本全国が区画分けされており、各区画のどこかにある拠点まで歩いていって、その城主をバトル的なもので倒すことでその土地を占拠できる、というものらしい。ただし某GOと違って他プレイヤーと対戦するわけではなく、基本的にはソロプレイであるらしく、プレイ自体はかなり気楽にできそうだ。NPCを倒すことでその土地の支配権を得られるらしいので、どちらかと言えば「鉄道むすめ」のようなゲームに近いのかもしれない。
「信長の野望」シリーズを遊ぶような人々は、どうせヘビーな歴史好きか、ちょっとヘビーな歴史好きか、自分はライト層だと思ってる歴史好きしかいないので、例えば旅行で史跡を回ったりするときに持っていくと面白いかもしれない。筆者は位置情報ゲームにそれほど明るくはないのだが、「信長の野望」シリーズの場合、日本全国に実際の歴史が舞台が眠っているため、「あの○○城跡が俺のものに……!」という遊びができるのかと思うとちょっと面白い。実際にそうしたお城や名所などのコレクション要素はゲーム内に追加されるそうだ。太閤立志伝の名所カードみたいな感じだろうか?
その他、歴史に関する豆知識を付けてくれる要素だったり、この手の位置情報ゲームではおなじみのレイドイベントのようなものもやりたいとのこと。筆者もそうだが、「信長の野望」を遊んでいるメインユーザー層はそろそろ……というかもうだいぶ健康に気を使いたい年齢層だったりするかとも思うので、これをきっかけにウォーキング健康生活を目指してみるのもいいのかもしれない。特に「信長の野望」やってると長時間座りっぱなしになりがちですしね。
さてこちらのノブGO、もとい「信長の野望 出陣」は現在クローズドβテストを予定しており、4月6日の23:59まで参加者を募集してるとのこと。興味を持った方はこちらもぜひ参加されてみてはいかがだろうか。
(編集・執筆/ena)